asahi.com(3月7日付)は、通信制高校が卒業シーズンを迎えたことを記事で伝えた。生徒はさまざまな背景をもって学び、この日を迎えている。受け取る卒業証書には、喜びもひとしおだ。
記事では、岐阜県の通信制高校を卒業する生徒たちの胸中を記している。
■73歳、なお学ぶ 県立飛騨高山・中谷久仁弘さん
「回り道をしながら、やっとたどり着いた高校生活。私の人生で意義ある選択だったと胸を張れる」
高山市で4日にあった県立飛騨高山高校通信制の卒業式。33人の卒業生を代表して答辞を述べたのは、4年間を皆勤で通し、「じいちゃん」と慕われ続けた中谷久仁弘さん(73)だ。
高山市で妻、息子夫婦、孫2人の6人で暮らす。下呂市出身で幼いころに父親を亡くし、「大地主か学校の先生の子ぐらいしか、高校なんて行けなかった」と少年時代を振り返る。
転機は5年前に訪れた。設備会社に勤めていて、飛騨高山高校で牛舎の工事に携わった。生徒たちと言葉を交わすうちに「もう一度、勉強したい」と胸にくすぶっていた思いが強まった。
内緒で受験し合格。入学式が迫ってから、家族全員がそろった夕食の席で「じいちゃんは高校に入る」と打ち明けた。
その時の様子を答辞で語った。「耳を疑ったような沈黙。その時、大学生の孫娘が『じいちゃん、すてき』と言ってくれた。みんなの顔がほころんだ」
月2回の登校日のほかは自学自習が中心。睡魔との戦いで再テストの繰り返しだったという。不登校経験者や全日制を中退した後、やり直そうと集まる生徒も多い。4年間の支えは、年齢も境遇も違うこうした仲間の「じいちゃん頑張って」だった。2年生では生徒会長も務め、とにかく楽しかったという。「ここでの数年間は、この先の試練に必ず役立ちます」。在校生には、こう語りかけた。
「好きな山や川の勉強を少しずつ続けたい」と、4月からは放送大学の通信教育で学ぶ予定だ。
■61歳、被災地思う 県立華陽フロンティア・今井節子さん
岐阜市の県立華陽フロンティア高校の今井節子さん(61)=瑞穂市=は、普段は准看護師として病院で働く。月5回の夜勤をこなし、休日は図書館でリポートを仕上げる日々を送った。「年が40歳以上離れた同級生たちと楽しくふれ合えた」と笑顔を見せる。
4日の卒業式では、通信制課程で学んだ「102人の顔」として、最初に卒業証書を受け取った。
学業に一区切りが付いたいま、気がかりは東日本大震災の被災者だという。1995年の阪神大震災では翌月に現地に入った。肺炎が流行した時期で、高齢者や障害者など特別な介助を必要とする人が集まる二次避難所で2週間のボランティアをした。
「東日本大震災は間もなく1年だが、ボランティアがやれることは多くあるはず。何かの役に立ちたい」と話す。福祉レクリエーション・ワーカーの資格を持っており、高齢者と折り紙をしたり、歌を歌ったりして楽しい時間が過ごせないか考えているという。
勤務先は63歳で定年を迎える。「患者さんには楽しい入院生活を送ってもらいたい。そのために自分も元気でいたい」。年を重ねて、持ち前の行動力にますます磨きをかける。
■悩みを糧に未来へ進む18歳 ウィッツ青山学園・佐竹章宏さん
ウィッツ青山学園高校の佐竹章宏さん(18)=大垣市=は、全日制高校からの転校を経験して、1日の卒業式を迎えた。「進路や学習面で思い悩み、立ち止まることがあったが、友人や先生が励ましてくれた」。式では答辞を任された。
週3回は自宅近くの大垣キャンパスに通って、先生に相談に乗ってもらった。託児所でのボランティア活動を通じて、子どもと関わる仕事をしたいと考え、卒業後は岐阜聖徳学園大学短期大学部で幼児教育を学ぶ。
答辞は、新生活への決意で締めくくった。「勇気を出して未来へ向かって羽ばたいていきます」
引用元:asahi.com「卒業証書、それぞれの重み 岐阜の通信制高校で卒業式」(3月7日付)
一人ひとり、抱く想いはさまざま。しかし、「卒業」を迎えた感動はみな同じだろう。卒業後もこの時の気持ちを忘れずにいて欲しい。
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